北海道函館商業高等学校 「旧校歌 」略年譜 |
− 『旧校歌の軌跡』(A4判 13ページ)より抜粋 − |
1912年(明治45年・大正元年) |
明 治 |
45年(1月1日〜7月29日)・・・4月 北大寮歌「都ぞ弥生」制定 |
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大 正 |
元年(7月30日〜12月31日) |
終わり頃 安田尚義(やすだ・なおよし)教諭 神山和雄( こうやま・かずお ) |
校長に依頼された校歌歌詞を提出・・・『函商八十年史』 |
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2年 3月 安田尚義教諭 病気のため宮崎県上江村(現高鍋町)に帰休 |
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2年 − − 校歌制定・・・『函商百年史』 |
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10年4月14日 函館区大火・・・校舎灰燼に帰す |
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11年7月22日 五稜ヶ丘へ移転・・・11年度から5間口 定員250名 |
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12年 − 一 歌詞の一部変更 「静かに学ぶ半千の」→「静かに学ぶ一千の」 |
<大火後、旧校歌歌詞の復元を図るも10数種の歌詞が存在していることが判明> |
『校友会雑誌』 『学校一覧』 『七十年のあゆみ』 『学校資料』「校歌集」 |
『卒業記念写真帖=吉岡熊雄校長書』 『函商人十年史(百年史)』 等 |
<作詞者も昭和31年まで他の人と認識されていた> |
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昭 和 |
4年 5月− 新校歌制定(作詞・青木存義 作曲・信時潔) |
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平 成 |
24年 2月− 大正8年(大火前)発行の『校歌集』の中に「函館商業学校歌」 |
を発見 ・・・ 歌詞が成って100年目。 |
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※なお、曲は、旧制第一高等学校の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」を拝借。 |
ただし、いつ拝借したかは不明。大正5年4月には歌われていた。 |
(大正2,3,4年は不明=継続調査中 |
(2012.03.13) |
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