北海道函館商業高等学校 「旧校歌 」略年譜 |
― 大角愼治著『校歌の周辺』所載「旧校歌の軌跡」に加筆 ― 2021.10.23更新 |
1912年(明治45年・大正元年) |
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大 正 |
元年 終わり頃 |
安田尚義(やすだ・なおよし)教諭 神山和雄(こうやま・かずお)校長に依頼 |
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された校歌歌詞を提出 ⇒『函商八十年史』 |
2年 3月 |
安田尚義教諭 病気のため宮崎県上江村(現高鍋町)に帰休 |
2年 − − |
校歌制定・・・『函商百年史』―初の「校歌制定」の記述 |
3年 9月14日 |
神山和雄校長転任 |
5年 4月 − |
入学式で「校歌斉唱」(最も古い歌唱記録) ⇒『五稜ヶ丘』17号 |
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(大正2,3,4年の歌唱記録は不明。継続調査中) |
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※ 譜は、旧制第一高等学校の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」(明治35年作)を借用 |
5年 5月 |
大正5年度『學校一覧』(現存中最古)には「校歌制定」の記述なし |
6年 1月 4日 |
氏江富雄(うじえ・とみお)教諭転任 |
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※ 氏江教諭は寄宿舎(寮)舎監で寮歌の作詞者。譜は旧一校寮歌借用 |
10年 4月14日 |
函館區大火・・・校舎・校史資料は烏有に帰す |
11年 7月22日 |
五稜ヶ丘へ移転・・・11年度から五間口 定員250名 |
12年 3月 5日 |
吉岡熊雄校長着任 |
4月 − |
校歌歌詞の一部変更 「静かに学ぶ半千の」→「静かに学ぶ一千の」 |
15年 3月 7日 |
『第27回卒業記念寫眞帖』に吉岡熊雄校長の筆で校歌初掲載 |
15年 7月 1日 |
『校友會雑誌』8号に校歌と同歌詞が「校友會歌」として掲載 |
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昭 和 |
元年頃(推定) |
新校歌作案検討中、校歌(旧校歌)を第二校歌、新校歌を第一校歌とする案 |
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があるも実現せず |
4年 5月 |
新校歌制 作詞・青木存義(あおき・ながよし)、 作曲・信時潔(のぶとき・ |
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きよし) ⇒昭和11年度『學校一覧表』に「五月」と表記 |
4年 7月 1日 |
(旧)校歌は「仮校歌であった」、「作詞者は氏江富雄」と記述 ⇒『創立四 |
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十年周年記念 函館商業學校沿革史』 |
21年 6月30日 |
創立60周年記念『學校一覧表』に旧校歌は「氏江富雄 作歌」とあり |
31年10月 3日 |
『函商五稜ヶ丘』30号に安田尚義教諭「なつかしき函商」を寄稿されたが、 |
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記事の一部が切れていた。この未掲載の文中に「作詞」に関する内容が |
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あったのではないか?そして『七十年のあゆみ』に「校歌作詞者・安田 |
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尚義」という記述へとつながったものと推定<それまで作詞者は「氏江富雄」 |
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教諭と認識されていた> |
33年 4月 − |
『七十年のあゆみ』に旧校歌の作詞者は「安田尚義」教諭と表記 |
41年 11月 1日 |
東京函商同窓会 母校創立80周年記念祝賀会で大橋荘二教諭指揮で「旧校 |
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歌」歌唱 |
44年 7月 1日 |
『函商八十年史』の安田尚義稿「六十年前の函商の思い出 校歌のこと」に |
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より、@作詞者判明、A作詞年判明、B県立鹿児島図書館で自作の歌詞が |
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函商校歌になっていたことを知った |
48年 8月− |
函商創立90周年記念レコード『校歌・応援歌集』に「旧校歌」収録。 |
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BGMは「嗚呼玉杯に花うけて」。平成13年新校舎落成記念品にCD化 |
52年 6月24日 |
東京函商同窓会会報『臥牛』に「旧校歌」掲載始まる。現在も続く |
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平 成 |
18年まで |
東京函商同窓会で昭和4年時在学していたOBが出席して旧校歌を歌唱 |
24年 2月25日 |
大正8年5月10日(函館大火前)発行の『續校歌ロオマンス』の中に「函 |
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館商業学校歌」を発見 ・・・ 作詞が成って100周年 |
24年 6月13日 |
函商札幌同窓会 旧校歌作詞100周年にあたり「旧校歌」歌唱披露 |
25年 4月 1日 |
『北辰』15号に大角愼治「旧校歌 作詞なって百周年 函商札幌同窓会で |
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懇親会で披露」寄稿 |
26年 3月31日 |
大角愼治著『校歌の周辺』に「旧校歌の軌跡」を収録 |
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<旧校歌歌詞の復元を図るも10数種の表記が存在していることが判明> |
30年 5月10日 |
鷲田清一編著『大正−歴史の踊り場とは何か』(講談社刊)所収 東京大 |
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学大学院教授(文化資源学)渡辺 裕 文学博士稿「校歌」の章(22ペー |
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ジ)で函商の「チャイナメ節」と「旧校歌」について記述(5ページ) |
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<h 30(2018).07.20現。 随時変更あり。利用に当たってはご連絡を。 大角愼治(新13回)> |